「挑戦」横須賀昌美 [山岸伸]

ヌード

「挑戦」横須賀昌美 [山岸伸]

 

横須賀 昌美(よこすか よしみ、1965年1月8日 – )は、日本の女優・元グラビアモデル。本名、「黒坂 昌美」(くろさか よしみ)。血液型B型。旧芸名は「横須賀 よしみ」、「横須賀 蓉美」(いずれも「よこすか よしみ」と読む)。サイアン・インターナショナル所属。

1984年、付き合っていた男性とベッドでいっしょの写真が週刊誌に掲載され、CMを降板、事務所からも契約解除などの処遇を受ける。この事件は当時、第2のニャンニャン事件とマスコミを騒がせた。第1は、タレントの高部知子のベッドで裸体に布団を掛けた状態で、煙草を咥えた様子を捉えた写真が写真週刊誌に掲載された事件で、ニャンニャンとは当時の性行為を意味する俗語である。しかし、この写真についての本人の弁は「布団の下は着衣で、軽い気持ちで友人に撮ってもらっただけ。でもアイドルとしては軽率でした。」ということである。

しかしCM降板の違約金まで自身が抱えることになった。「貯金も三千万はあったが、違約金を払ったら五百万の借金が残って、仕事もホサれて途方に暮れました。」と語っている。その返済のためエアロビクスのインストラクター、六本木のスナックの雇われママなど様々な仕事に追われることになる。人気絶頂時の月収は当時の金額で500万円近かったが、事件後は3万円にまで落ち込んだというくらい、その余波は大きかった。

その後、出演した映画、『夕ぐれ族』は主役で話が来たが、それだと脱がなくてはならず、この時点で資生堂との関係は続いていたのでヌードはなしということになったという。さらにまた週刊誌にホステスをしてる写真が掲載され「ポルノ女優3回目の変身」などと書かれたりした。これについても本人は客で行った時の写真で、そういう事実はないと否定している。

転機になったのは『マニラ・エマニエル夫人 魔性の楽園』(1992年、東映ビデオ)で、このvシネマで初めて大胆な濡れ場を演じており、これ以降ヌードの役が増えるが、「主役をやれることが大切だった。」と語っており、これ以来テレビ局からも多くのオファーを受けるようになる。しかし脱ぎの仕事ばかりで、本人にとっては不本意だったが、Vシネマでは定期的に主役級の仕事が入るようになり1本平均150万円というギャラは生活を安定させるには十分だったという。この時期にはVシネマの女王との異名もとっている。

 

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