堀江 しのぶ(ほりえ しのぶ、1965年8月18日 – 1988年9月13日)は、日本の女優・タレント・歌手。本名は堀部 しのぶ(ほりべ しのぶ)。
市邨学園高蔵高等学校(現:名古屋経済大学高蔵高等学校)在学中 の1983年(昭和58年)、クラリオンガールコンテストで平凡パンチ・アイドル賞を受賞、黒澤プロモーション(のちのイエローキャブ)に所属する。翌1984年4月25日には「ビキニ・バケーション/BOY」(キティレコード(現ユニバーサルミュージック)、作詞:売野雅勇、作曲:松田良)で歌手デビュー。同楽曲は第10回日本テレビ音楽祭・新人賞部門にノミネートされている。
明るいキャラクターと健康的なプロポーションで人気アイドルとなり、ドラマやバラエティで活躍していた。巨乳ブームの先駆けでもあった。
1987年(昭和62年)頃、堀江は自ら「もう少し細くなりたい」とダイエットを試み始めていた。ところが1988年(昭和63年)の始め頃から腹痛や食欲不振などの体調不良を訴え、同年4月8日に東京都内の病院で診察を受けた後、翌9日に緊急入院した。当初、病名は「卵巣嚢腫(のうしゅ)」と発表されていたが、入院時には堀江は既にスキルス性胃癌(いがん)が卵巣にまで転移した末期癌の状況で、さらに6リットルもの腹水が溜まって癌性腹膜炎も併発しており、「余命2か月」との診断が下された。その後、一部週刊誌が堀江の重病説を報道していたものの、堀江が所属するイエローキャブの社長・野田義治や家族の意向もあり、堀江本人には本当の病名は最後まで告知されなかった。
堀江の病状は一旦回復し、1988年5月頃に地元の名古屋市南区・中京病院へ転院。一時外出の許可が下り、母親と買い物に出るなどしていたが間もなく容体が悪化。1988年8月18日、堀江は23歳の誕生日を病室で迎えたものの、ベッドからも自力で起き上がれない状態だった。それから26日後の1988年9月13日午前4時28分、スキルス性胃癌のため死去。戒名は「麗光貞忍大姉」。また、堀江の生涯最期の言葉は「私、仕事がしたい…」だったという。その言葉を聞いた野田は「しのぶ、仕事はたくさんあるからな。仕事、しような…」と優しく言ったが、堀江がそれに答えることはなかった。